よく考えがブレてしまう人っていると思う、私もその一人でもある。
ただ、一貫性はあった方がいいと言われるけどもピンとこない。
なぜ?
だから考えてやった。
一貫性って持った方がいいのか?とか、一貫性を持っているとなぜ信頼されるのか?とか
ほぼズブなど素人の考えなので期待せずに見ていってくださいな。
目次
一貫性があった方が信頼は得られる
まず初めに一貫性があった方が信頼は得られるのか?についてですが、
得られる!
とは思っている。
信頼という言葉の定義を決めるのは多少苦労するのだけども、信じて頼る、って書くくらいだから、安心するような人のイメージ。くらいでいいと思う。
あえてここで、信頼とはという論争をするつもりもない。笑
信頼ってされる必要ある?とかボディブローかましてくる人もいるけど、
社会で生きている僕らは、自分にとって都合のいい社会であった方が生きやすいわけで、
その生きやすい社会で生きていくために、他人と生きていくことが必要で、そのためには、他人の存在は不安ではなく安心であることは前提にあると思う。
そう考えると、安心(すなわち信頼)する人間であることは、今も昔も変わらず社会で生きていく上で必要
少なくてもおいらの周りには多いぜい
次に一貫性があった方がなぜ信頼を得られるのかについてを考えてみる。
[理由1]一貫性があった方が不快感を覚えないから信頼を得られる
シンプルに一貫性があった方が何を考えているかがわかりやすいから信頼を得られる。
専門的な言葉を使えばいろいろとあるだろうけど、別に私は研究論文を書いているわけでもないし、概念での言い回しはしません。
探す中で一貫性の法則とは何かというような言葉が出てきた。
が、一貫性の法則に関しての論文とかが特に無かったし、ウィキペディアの出典元がそもそも個人のブログであったからして、信憑性がない情報だなーと興ざめした。
まあ、この文章もブログだけど。w
一貫性の法則て何
一貫性の法則とは、一貫性があった方が信頼されるという、だからなんでだよ!と突っ込みたくなる法則で、そのロジックに関しては特に解明がされてなく、例だけがあげられるという、傍若無人な法則である。多分誰かが研究をしているのかもしれないけど、特に探す気はない!
大手のマーケティング会社なんかも記事にしています。
不快感がある人間と、ない人間で、どちらが信頼できるのかといえば、前者であることは周知の事実で
(一部違うかもしれないけど、知らん)
では、なぜ一貫性がないと不快感があるのかを考える。
一貫性とは内的パーソナリティに関係している
一貫性とは他者にどんな影響を及ぼすのかだけども、これは内的パーソナリティに大きく関わっていると思っている。
内的パーソナリティってのは、
「こいつはエロい」
とか
「こいつは面倒くさがり」
とかね
他者がどういう人間かを示しているもの。
んで、内的パーソナリティってのは、原因論的な考え方です。
原因論
何かを考えるとき、過去が起因しているという考え方。例えば、犬に噛まれて怖いから犬に触れない。というのが原因論。
この内的パーソナリティってのを一貫性から勝手に認識しているんじゃないかっていうのが私の考察。
一貫性がある行動を元に、勝手に認識する
例えば、バナナを食べて、毎日片付けをする行動をみれば
後片付けをしっかりする人だ
と思うし
毎日その場にポイ捨てをするのをみれば、
後片付けをしないだらしがない人だ
と思う
これってすごくシンプルだよね。
相手の内的パーソナリティを勝手に言動で決めつけるんですね。
内的パーソナリティがわかると相手が安心する
不特定多数の人で生きていくときに、相手がどういう人間かを理解しているってのは重要である
(と勝手に思っていて)
んだって何考えている奴がいると危ないじゃん!
すげーシンプルだね
Aという行動をするときに、なぜその行動にいたったのかを安易に想像できる相手と一緒にいた方が楽ですよね。
予測不可能な行動をするのがいやだって人は多いと思います。
なぜ相手が、とある考えにいたったのか、とある行動にいたったのかが想像できない人といるのは、不快であるケースの方が多いと思います。
よくいじめにあう人ってのは、何を考えているかわからないから、という理由があったりする
(ちなみに、私もそのパターンでいじめられることがある。潰し返すけど)
これは安心をしない、不安、不快感があるからであると言えるという結論。
(はー飽きてきたなー書くの。)
よって何を考えているかがわかる方が安心するし、信頼できる
[理由2]一貫性と認知的不協和
一貫性がないと不安や不快感が生まれるってのは、なんとなく上記で理解をしてもらえた気もするけど、していない人は多分話が合わないからここで離脱して構わないと思う。笑
では、なんで不安や不快感が「信頼」に関係するかってのはほぼほぼ答えが出ているようなものだけど、最後に一押しとして「認知的不協和」があると思う。
認知的不協和とは
一貫性がないことで、内的パーソナリティがわからなくなると、他者に不安、不快が生まれる。
その不安、不快を打ち消すために、別の認識を付け足す。
そうして認知的不協和によって、相手へのイメージ付け方信頼しない人のレッテルが貼られるのではないかと考察。
例えば、一貫性がない人がいたら、無意識的に
この人はころころ変わる、だから多分明日も別のことを言っている、嘘をつく人だ
とか
お金を貸しても返ってこないかもな、だってすぐに考え変わるしな、危ない人だ
とか
変人
とか
になって、
結果、あぶねえし、わかんねえし、だから付き合わないようにしておこう。
とかになるのでは?
でもこのケースに当てはまらないケースも中にはあって、
それが
1.同じく一貫性がない人
2.一貫性がなくても許容が広い人
のどっちかで、
一貫性がなくて、認知的不協和が起きて
この人は変わっている。だからこそ面白いな
という強靭な考え方に変えることができる。
ただし、他人に対して時間を避けるのって余裕がある人だと思っていて、
自分の人生もままならないのに、他人になんか避けないからね、たいていの人は、
だからシンプルに不快だったら、考えずに
危ねえやつだ
って思うのが利口でしょ。
いちいち、一貫性がない、だらしねえやつに対して考えてる時間がもったないないのよね。
そんなのブランディング自分でしなさいよ。
一貫性がないのはシンプルに不快だから信頼しない
よって一貫性がないのはシンプルに不快だから面倒臭いし信頼がないと決めつける方が楽。
という結論に至りました。
ここまでの手順で説明すると
- 一貫性がないのは不快
- 内的パーソナリティが見えない
- 次に何をしでかすかわからない
- 不快を埋めるための認知的不協和
- 中には面白いになる可能性もある
- でも、利益がないことは人はしない
- よって、不快!危険!付き合いたくない!
- だから、信頼がない
まとめ
一貫性がないとなぜ信頼されないのか、についてでしたが、自分で考えていてものすごく勉強になりました。
逆に一貫性を持つことで、安心を感じ、勝手に認知的不協和を起こして信頼を生ませることも可能であることを知りました。
一貫性があった方がいい、ない方がいい、というのはよく論争に上がりますが、
結局一貫性がない人も、「一貫性がないという、一貫性なのでは?」と思います。
ただ、他人のイメージは一貫性によって保たれるとするのであれば、一貫性を意識した方がいいでしょうね。
別に他人にどう思われてもいいという人は、てきとーでいいと思います。
そしたら、その「他人にどう思われてもいい」という一貫性によって相手が勝手に認知的不協和で「この人は他人の目を気にしていないんだな」となるので、
大事なのは継続でしかない。つまりは一貫性である。
ってことがわかった。
え?わかった?、、、笑