2019年、今年の光のページェントも終わりましたねー。
実は平成最後の光のページェントだったんですよね、ご存知でした?
光のページェントを見たカップルは別れると言う噂もありますよね。あれって由来ってなんなんだろう?
気になりません?私めちゃくちゃ気になるのですが。笑
実は私光のページェントを見た後にやっぱり別れているんですよ。この流した人のせいでね。ヒヒヒヒヒ
別れると言う噂さえ流れなければ今頃幸せに暮らしているはず。(勝手な妄想)
と言うわけで、仙台に住むカップルの皆さん。安心してください。
この記事を読めば、そんな噂嘘だったと、「私たちの絆は永遠よ!」と声を大にして言えることになっているでしょう。
では、レッツゴー!
目次
光のページェントはものすごく綺麗
光のページェントはめちゃんこ綺麗で、私も写真を撮りまくりました。
噂の話を聞く前に、この素晴らしきページェントを楽しみましょう。
私の写真よりもプロが撮った写真の方がはるかに綺麗なので、プロの写真を貼ります。多分プロじゃないけど、綺麗だったやつも混じってます。
View this post on Instagram
※instagramから引っ張ってくるのですが、自分の写真が使われていて嫌だったら言うてください
※だって僕のこんな綺麗じゃない
探している途中で幸せそうなカップルがいた。(笑顔)
光のページェントのカップルが別れるという噂、迷信の由来は何?
さて、本題に入りましょう。キラキラと光る電球の群衆(とか言っちゃダメ)を見るだけで別れるって一体この噂を作った野郎は誰なんだい。
探せど、探せど出てこない。
2009年の知恵袋にはこんな会話が…
仙台の光のページェントにカップルで行くと別れると聞きました。本当は、どうなんでしょうか?
そんなことはないと思います。どこにでもある噂でしょう。
私も付き合っている人と見に行ったことがありますが、4年たった今でも別れていませんし、そんな気配もありません。
ページェントを一緒に見に行った彼氏と結婚した友達もたくさんいます。
安心して見に行って大丈夫だと思いますよ。
何のこのひと、あったけえな。安心してください。ってすごいね。大丈夫付き合ってますよ。ってとにかく明るい安村じゃん。
こういう時は一番古い情報を調べましょう。きっとそいつの怨念がいまだに続いているのでしょう。
点灯したのは光のページェントの歴史は、1986年が最初に点灯。インターネットはまだまだ普及をしていなかったのか、2000年までに目ぼしい情報はありませんでした。
2003年には唯一2チャンネル(当時名)にて、光のページェントを見ると別れると言っているために、当時からあったんですね。
原因がつかめないので、勝手に考察をします。
光のページェントを見ると別れるという噂の理由⑴独り身のひがみ
現実的です。笑
独り身であれば、仲良く光のページェントを見ている人に対して、「キィ!」と恨んでもわかりみが深い。
例えばストーリー
A「俺、美樹のことが好きなんだよな」
B「そっかー、お似合いじゃねえか。応援してるぜ」
美樹「何二人で話してるのよー!」
仲良し三人組、当時はまだ高校2年生だった。
ーとばすー
A「俺、美樹と光のページェント見に行きたい。」
美樹「え…そ、そうだね!3人でいこっか!」
A「3人じゃない…3人じゃない!俺美樹を2人で行きたいんだ」
美樹「A君。ごめんね。実は私Bくんと付き合ってるんだ…」
A「え…」
ーとばす、当日ー
A君家
母「あんた部屋にこもって何やってるのよー!最近3人で遊ばなくなったわねー。」
A「受験勉強で忙しいんだよ!」
まじウザす、まじウザす
光のページェントを見に行くカップルは別れる
光のページェントを見に行くカップルは別れる
光のページェントを見に行くカップルは別れる
カタカタ(*^-^)ヘ_/ ~~~~~~~ □_ヾ(^o^ )カタカタ
カタカタ(*^-^)ヘ_/ ~~~~~~~ □_ヾ(^o^ )カタカタ
カタカタ(*^-^)ヘ_/ ~~~~~~~ □_ヾ(^o^ )カタカタ
カタカタ(*^-^)ヘ_/ ~~~~~~~ □_ヾ(^o^ )カタカタ
こうして、全世界に光のページェントを見ると別れるという伝説が作れられた。
光のページェントを見ると別れるという噂の理由⑵政府がらみ、陰謀論説
厨二病が好きな設定です。
主に、大きなイルミネーションイベントが起こるのは、大都市です。
日本で言えば、大阪、福岡、名古屋、東京、仙台、北海道、などなど。
日本弱体化計画を考えれば、少子化にするべき。カップルは別れるべき。
光のページェントを見に行くカップルは別れる
光のページェントを見に行くカップルは別れる
光のページェントを見に行くカップルは別れる
カタカタ(*^-^)ヘ_/ ~~~~~~~ □_ヾ(^o^ )カタカタ
カタカタ(*^-^)ヘ_/ ~~~~~~~ □_ヾ(^o^ )カタカタ
カタカタ(*^-^)ヘ_/ ~~~~~~~ □_ヾ(^o^ )カタカタ
カタカタ(*^-^)ヘ_/ ~~~~~~~ □_ヾ(^o^ )カタカタ
こうして作られた陰謀。その犠牲になった一つとして光のページェントがある。
他にも何個かあるだろうけど、都市伝説って勝手に誰かが作って、面白がった広まったのだと思います。
人の怨念って怖いから、真実になりそうですよね。
実際なったしな。涙
ここいらで、光のページェントを見た2人は末長く幸せになる。という噂に変えません?
いや変えましょう!
ちなみに、光のページェントは電球の群衆ですが、(だめそんなこと言ったら)
1つだけピンクの電球があります。
2018年のピンクの電球は西公園側にあった(らしい)
2018年は奥の公園側にあったみたいで、いつもの教会の前ではなかったと聞きます。
ピンクの電球を探していると見つけた場所には人だかりができるので、本気で自力で見つけたいなら、人がいない時に行くのが一番ですよ。
ちなみに、人が毎回いるので、一番いないのは大晦日の夜23時45分くらいです。
なぜ知っている?って?2018年に行ったからだよ!
カップルで?友達とだよ!友達は僕を振らないからね…
光のページェントの歴史を語るには仙台空襲を忘れてはならない
最後になりますが、ここで1つ覚えて欲しいことがあります。
それは光のページェントの由来、歴史です。
1986年(昭和61年)、『「杜の都」から「光の都」へ』を理念に、市民ボランティアが「杜の都・仙台」を象徴する定禅寺通と青葉通のケヤキ並木にイルミネーションを施したのが始まりである。例年、定禅寺通は、地上から見れば「光の回廊」となり、ナイトフライトで上空から見れば「地上に舞い降りた天の川」となる(仙台七夕に関連して形容)。
なんだ、なんだ、めっちゃええ話やないか。
その前にも第二次世界大戦で空襲にあった現在の光のページェントを飢えているケヤキたちは、仙台砂漠と言われていたそう。
あれから数十年たった今、仙台の街は賑わっているが、当時は悲惨なものだった。
空襲でなくなった人は1000人以上、原発の被害が甚大であまり歴史として目にする人はいないかもしれない。
が、目をそらしてはいけない被害がそこにはあった。
仙台砂漠と言われていた道を、道路整備して、植林をした。
1970年代から増えだした、スパイクタイヤ(タイヤに鉄が巻かれている強そうなタイヤね)によって、粉塵がまい、植林に付着。また仙台の通りは「仙台砂漠」と呼ばれるようになった、そう。
1985年にはスパイクタイヤの条例ができ、1986年2月に森の都の1つとして、市民たちで協力をして1年かけて電飾をしたのが「光のページェント」の始まりだった、と言われています。
私たち平成生まれ、そして今後に生まれてくる人は、光のページェントがまんまそこにあったことしか見れません。
過去には、0から作り上げてきた人たちがいます。
「光のページェントなんて、糞食らえ」という人も中にはいるかもしれませんね。
忘れてはいけないのが、
そこには、戦争を忘れてはいけない、戦争の被害に直接合われた、被害のご親族、ただ恨むのではなく、新しい世代には明るく生きて欲しいという思いがあるんじゃないかということ。
その目線で見れば、光のページェントの見方も変わるかもしれませんね。
終わりに
光のページェントをカップルで見に行くと別れるらしいという噂について由来はなんだーと調べたけど見つかりませんでした。
なので勝手に作りました。
A君の怨念が作ったのでしょうが、おそらく女性の方が恋愛に対しての気持ちがバーストしてそうなので、Aちゃんだと思います。
そう言えば、私がその噂作ったんです。って人がいれば、コメントください。
一番古くに作った人見つけたくないですか?笑
そして当時なぜ作ったのかを聞きたい。仙台市民みんなで探せば見つかるはずだ!
というわけで、よろしければこの記事シェアしてください。
おちまい